小川せせらぎと鳳来湖キャンプ場2023(春)
春霞がたなびく頃、私はある噂を耳にしました。かつて一部の心ない方々の振る舞いが原因で、惜しまれつつもその門を閉ざしていた鳳来湖のキャンプ場が、ひっそりと息を吹き返したというのです。真偽を確かめるべく、逸る心を携え、私は新城の奥座敷へと車を走らせました。窓外には芽吹く木々が広がり、湖畔に近づくほどに空気は清まり、かつての美しさを取り戻そうとする大地の静かな鼓動が、再開への期待を一層強く膨らませてくれました。


そこは、俗世の喧騒とは隔絶された、まさに隠れ里と呼ぶにふさわしい場所でした。眼前に広がる鳳来湖の静謐な水面は、吸い込まれるような空の青を映してきらめき、時折、名も知らぬ鳥の鋭くも澄んだ声が、凛とした空気に響き渡ります。対岸の山々は折り重なるように連なり、春の柔らかな光を浴びて淡い萌黄色に染まっていました。時計を忘れさせるようなこの静寂の中で、私はただ、自然が奏でる無垢な音色に身を委ね、贅沢な時に浸るばかりでした。
人の手があまり入らないその地は、原始の面影を色濃く残しながらも、無垢な木材を用いた水道や清潔なバイオ式の厠が整えられ、訪れる者にそっと寄り添う優しさを持ち合わせています。
薪の用意はあれど炭の販売がないのは、この場所が守り抜いてきた沈黙の流儀なのでしょう。炭は炭化の果てに、自力で土へ還る術を持ちません。自然の一部を借りて一夜を過ごすからこそ、跡を濁さず、あるがままの姿で次の一人へ手渡す。その潔い不便さが、ここでは何よりの贅沢に感じられました。

朝の八時、暁の気配がまだ残る頃に帳場へ赴きますと、もう一つの密やかな愉しみへの扉が開かれます。

それは昔ながらの五右衛門風呂です。湯船に身を沈めますと、柔らかな湯がじんわりと四肢を解きほぐしていきます。湖面を渡る風が頬を撫で、対岸の木々は遥か遠くに霞んで見えます。
双眼鏡でも持ち出さない限り、この湯浴み姿を覗き見る方などあろうはずもありません。全てを忘れ、ただ湯と一つになる悦楽は、筆舌に尽くしがたいものがありました。
湖面を跳ねる小魚の音が子守唄のように響くこの地で、私はしばし時の流れを忘れました。鳳来湖のほとり、春の淡雪のような桜が風に舞い、水面に吸い込まれていく様をただ眺めて過ごす一日は、私の心に深く、そして静かに刻まれたのでした。夕暮れ時、茜色に染まる湖面を前に、自然と共にあることの尊さを改めて噛み締めます。この清らかな風景が、明日も、その先もずっと変わらずにあり続けることを願いながら、私は静かにこの隠れ里を後にしました。
※動画中、営業は土日のみと解説している箇所がありますが誤りで、いつでも営業しているキャンプサイトです(2023年現在)※鳳来湖キャンプ場は予約制ではないので満員だった場合は当日現地でお断りをされることがあります
■ロケ地
愛知県新城市川合八石 鳳来湖キャンプ場 公式WEBサイトなし(2025年6月現在)


























